岐阜屋

2018年01月23日

      

 「体調不良なんで早退するよ」と医局秘書の加藤さんに伝え、病院全体の医局長が参加する経営戦略会議をサボることにした。精神科の収益が悪いと言われるのは決まっていたし、自分の診療ができなくなった大学病院からは春から逃げ出すことを決めていたからだ。教授へのゴマすりも嫌になっていた。

 小田急線で新宿に向かうことにした。都心に向かう小田急線の窓からは山頂がわずかに白んでいる大山が見えた。昼間の小田急線急行は座れることが多いが、その日は大勢の大学生が乗っていて、新宿まで立っていた。

 新宿西口の地上口を出ると街宣車の上で迷彩服の男が大声で演説している。マイクの音が大きくて、何を言っているのかわからない。街宣車の後方には、白い帯を交叉させ網目状の模様を造っている高層ビルが見える。建築家は繭をイメージしたらしいが、私には段ボール箱に白いテープを無造作に巻き付けたような不気味なものにしか見えない

 小田急デパートの前を歩き、ユニクロの角を右にまがり「思い出横町」という看板のある路地に入った。モツ屋や焼き鳥屋には提灯が吊され、店先にはナベやコンロを置かれ、客を誘っている。新宿駅から数百メートル歩くだけで、一転して戦後の闇市のような風景が現れる。

 月に四五回は夜の遅い時間にここに寄るのだが、昼間に来たのは三ヶ月ぶりくらいだ。決まって嫌なことがあった日だ。路地を歩き、ひな鳥、若月、アルバトラスの前を通り岐阜屋に向かった。

 岐阜屋は中華の店なのだが、常連客は昼間からビールや酎ハイを、餃子やレバニラなどをつまみにして飲んでいる。路地からコの字型に配列されたカウンターはいつになく空いていた。いちも座る入り口左手のカウンターには、帽子を被った初老の男、若いカップル、四人組の白人男性が座っていた。初老の男性とカップルの間が一席空いていた。「そこ、いいですか」と言って空いている席に座る。カップルが奥につめた。ポニーテールの痩せた男は、強引に客の間の席に座った私を睨んだ。常連なら、後からくる二人組や三人組のために、他の席が空いていても一人の席に座るのが、この店の礼儀である。



「今日は、早いね」と、夏でも冬でもTシャツ姿の大将が注文する前から酎ハイを私の前に置いた。

「はは、注文する前から、出てきちゃったよ」と言うと、カップルの長い髪の女が私の方を見て笑った。最近売れ出した女優に似ている。顔が小さいわりに部品が大きい。

 このまま、いつものように麻婆豆腐を出されてしまうと、客としての権利行使能力が奪われると思い、でかい声で「固やきそばね」と言った。

 5分もするとカップルは席を立った。女のラーメンどんぶりは空になっていたが、男の焼きそばは半分残っていた。この店は焼きそばではなく固焼きそばなんだと思う。

 酎ハイの二杯目を頼んだ直後だ。スーツ姿だがどこか"歌舞伎町"の雰囲気がある化粧の濃い若い女が隣に座った。シャネルの匂いが場に合わない。女は酔っている。「しんちゃん、私も酎ハイ」と言う。

 酎ハイをコーラのようにごくごくと飲んだ女は、私の膝に手を置き「しんちゃんの炒め物は油が少なくて、胃にもたれないのよ、ほらあ、見なさいこれ」と言いながら油が浮いていない野菜炒めの残り汁を私に見せる。「しんちゃんは昼にしかいなからね、今日のあんた、しんちゃんの料理が食べれて幸せよ」と言う。「ああ、酔っちゃたあ」と言いながら、私の肩に頭をもたらせ話しを続ける。「じゃあ、俺も野菜炒め追加ね」「はいよ」「そう、野菜炒めがいいの」と女は微笑む。スーツの下の大きく開いたシャツの胸元から黒い下着が見えた。声には色があり、顔の造形は私の好みだった。歌舞伎町のホテルにでもしけこめそうな雰囲気だ。女はiPhoneを見せながらスティーブ・ジョブスの功績をあれこれと話し続けた。たしかに西新宿かもしれないと思い、二件目に誘おうと思った矢先、女は「しんちゃん帰るね。お勘定」と言った。女は焦点の定まらない視線を私に向け「ところであなた、名刺もらえるかしら」と右手を差しだす。私は少し迷ったが胸ポケットにいれてある名刺を一枚渡した。スティーブ・ジョブスに負けたのだ。大将は「いいのお、渡しちゃってえ」とニヤニヤしながら私を指さしている。

「野菜炒めできたよ」と言って山盛りに野菜がのった皿が目の前に置かれた。醤油の香ばしい匂いがする。

「酎ハイおかわりね」と私は三杯目のグラスを差し出す。この店には二十年通っている。母が亡くなった時もここにきた。「お袋が死んだんだよ」というと、大将は「親より長生きできりゃ、それが親孝行だ」とチャーハンを炒めながら言った。飲む度に、「ああ、この店の酎ハイは焼酎と炭酸の配合が秀逸だ」と思う。檸檬の輪切りが入っていて、一杯ごとに輪切りが一枚増えるので、何杯飲んだかすぐにわかる。

 今度は、中国人らしい中年のカップルがやってきた。男が隣に座ろうとするが、買い物袋を沢山持った太った女は首を横に振る。数年前からこの路地は観光ルートに入っていて、アジアや欧米からの観光客が来るようになった。たすき掛けに二つの鞄をしょった男は「ラーメン、チャーシュー、二ね」と言った。女は、笑顔を少しも見せずに椅子に座った。ラーメンを食べると笑顔になった。美味いのだ。

 私は、空になった野菜炒めの皿をカウンターの前の棚に置き、「酎ハイおかわり」と言う。大将は「今日は飲むね」とだけ言う。客の飲む量を覚えている。大将は客の心まで想像しているのろうが、何も言わない。でも、察してくれてることはわかる。

 酎ハイグラスの檸檬の輪切りは六枚になった。時計を見ると三時である。昼に深酒するのは久しぶりだ。

 そろそろ帰るかと思った時、ひどく痩せた坊主頭の老爺と私よりも一回りくらい若い男が隣に座った。老爺は安すそうなジャケット着ていたが、若い男は背広を着てネクタイをしている。親子なのだと思った。私は少し椅子を横にずらして老爺が座りやすいようにした。

「ああ、すみません」と老爺は頭をさげる。

「川本さん、本当にきちゃったのお、病気はまだ治ってないんだろう」

 老爺はニコッと笑い「酎ハイ一杯」と人差し指を立てた。

「僕には、生ビールをください」

「生はねんだよなあ」

 どうやら、老爺は常連で、若い男は始めてらしい。

 老爺は私の酎ハイグラスを眺めると、目を細めて「俺も昔はそのくらい飲んだよ」と言った。私に向けた老爺の目はくぼんで、頬はこけていた。

 若い男が丁寧な口調で老爺に言葉をかける。

「ここが川本さんが通った店ですか、良い雰囲気ですね。外国の方もいらっしゃるじゃないですか。約束したように、一杯だけにしてくださいよ」

 私は、老爺のことが気になり、横目でしばらく見ていた。

 老爺は目を閉じて、ゆっくりと味わうように酎ハイを飲む。「ああ、美味い」。そして目を開けて、店を見渡すようにして、もう一口飲む。

「しんちゃんの顔も見納めだな」と淋しそうに呟いた。

「何言ってんだよ、俺はあと二十年はやるから、百歳になっても来てくれよ、でもさあ入院中なんだろう。何かい、こっそり抜け出して来てるんじゃないだろうなあ。それじゃ困るよ」

「お墨付きだよ、こちら俺の主治医です。ここに来たいって何度も言うので、連れてきたんだよ。な、センセイ、俺が来たかったんだけどな」

 若い医者は照れくさそうに頭を下げた。

 その時、この二人組がここに来た意味を悟った。

 私は彼らの仲間に入りたい気持ちを抑え、「おあいそね」と言い、千円札を三枚出して、「ごゆっくり」と言い、二人に会釈して店を出た。

 私は新宿駅に向かって歩く。反対方向から歩いてくる若者や家族連れに押し返されそうになる。私にとって眩しいのは、晩秋の太陽ではなかった。健康そうに歩く流行の服を来た若者や、笑いながら歩く家族連れであった。

 二年前、末期がんの老医師の担当となった。アルコール性肝硬変から肝がんとなった同郷の人だ。家族に逃げられ一人暮らしだったその人は、私を息子のように慕ってくれた。

「先生と最後に飯が食いたい、店を予約しとくよ」

「ええ、故郷の話でもしましょうよ」

しかし、老医師は約束の日の三日前に亡くなり、一緒に食事に行くことは出来なかった。

私は、押し寄せてくる人々の波から離れ、タクシー乗り場のガードレールに腰掛ける。

思い切り空を見上げ故郷を探す。新宿の狭い空に、老医師の笑顔が見えた気がした。

                                       了

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